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管理人からのあいさつ
当ホームページに来ていただきありがとうございます。
このホームページを立ち上げたきっかけは現在、私が所属している町のだんじりの初代だんじりと言われそのだんじりを見たくて見学に訪れているうちにいつのまにか鍛冶町にお世話になることになりました。誉田だんじり祭の時期は岸和田旧市の祭礼時期と重なることもありなかなか知られていないことも現状です。もっと誉田だんじり祭を知っていただくためにホームページを開設いたしました。なかなか更新もできないかもしれませんがよろしくお願いします。
なお、このホームページは管理人個人の趣味であり各町団体とは一切関係ありません。
誉田八幡宮
大阪府羽曳野市にある神社である旧社格は府社。応神天皇を祀る。応神天皇陵の南に鎮座する。社伝では、欽明天皇の命により、応神天皇陵の前に社殿を建立したのに始まるとしており、そこから「日本最古の八幡宮」を称している。実際には、もっと後の八幡信仰が盛んになった時代に建立されたものとみられる。永承6年(1051年)、元の鎮座地から1丁(約100m)ほど南の現在地に遷座した。
八幡神が源氏の氏神とされることから、源氏姓を名乗る歴代の将軍をはじめ、武家の信仰を受けた。南北朝時代から戦国時代にかけては、別当職の誉田三河入道一族によって保護されたが、享徳3年(1454年)より始まった河内守護・畠山氏の内輪争いにより社殿・伽藍を焼失し荒廃した。河内国を支配下に置いた織田信長により、社領を全て奪われた。
その後、豊臣秀吉は社領200石を寄進し、社殿を再建した。天正14年(1586年)に社殿が焼失したため、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行に任命して社殿再建を行ったが、拝殿の建造中に大阪夏の陣・豊臣氏滅亡があり、建物の内部が未完成のままとなっている。
江戸幕府も200石の社領を安堵し、数度にわたり社殿の修復を行った。
神宮寺として長野山護国寺があったが、明治初年の廃仏毀釈により大半の建物が取り壊され、現在は南大門のみが残る。(Wikipediaより)
詳しくは誉田八幡宮のページから!